2025/03/18 08:20

神さまは人間に、“生きがい”というものを本能としてつけてくれたんだよ。
“生きがい”って、いろいろあるけれど、魂が成長することがすごい喜びなんだ。
神さまがそういうふうに創ってあるんだよ。
『神はからい』と言って、神さまがそういうふうにはからってくれているんだよ。
だから、楽しいことを生きがいにすればいい、って言うけど、意外と楽しいものって飽きちゃうじゃない?
なぜ飽きちゃうのかというと、本来は、人間が生れてきた目的というのは魂の成長だからなんだよ。
魂が成長することが最高の喜びであり、最大の“生きがい”であるようにできているんだよ。
だから、たとえば、病気になったとき、『わがまま』―――愛のない態度―――をしていても全然、満たされなくて、心は自分ひとりになっちゃうの。
だけど、病気を通じて周りのやさしさに気づいて感謝したり、『魂の成長』の糧にしようって思った瞬間から心はワクワクして、周りにやさしくしていると心がうれしくなる。
旅をするのだって、人との触れ合いがあるなかで、いろんなことに感謝を覚えると楽しいんだよ。
そうやって創られちゃっているんだよ、人間って。
なんだってそうだよ。
茶道だって、『魂の成長』なの。
最初は『お茶を出す』、ただ『お茶を飲む』ことから始まるんだけど、段々と、もてなす側は、『どうしたら、目の前のこの人を歓待できるだろうか』とか。
春になれば、『椿がこの時季、キレイだから、茶室に椿を飾ざろう』とか。
『あの人が喜ぶ器はなんだろう」とか。
この一服のお茶に、茶室を飾る花に、器に、お菓子に、相手を思いやる心をどう表現するか――そのことで魂を成長させるの。
だから、もてなされる側も、もてなしてくれた人が自分のために心を尽くしてくれたことに感謝し、褒める。
なんでも、『道』と名が付くものはすべて『魂の成長』だよ。
剣道だってさ、剣だけでは相手をやっつけることになっちゃうじゃない?
でも、『剣道』と なったら、達人になればなるほど、強い人に遭ったときは、『あなたがいてくれたお陰で自分が未熟であることがわかりました』って、相手に敬意を表すんだよ。
逆に、相手に勝ったときは、『あなたがいてくれたお陰で、自分の成長がわかりました』と言って、また相手に敬意を表する、という。
だから、お互いに学べるものがあるんだよな。
『魂の成長』なんだよ。
そういう『魂の成長』を一生涯、楽しんでいけるように、『生きがい』になるように、人はできてるの。