2024/09/13 08:48


今、私は、いわゆる「Z世代」、つまり20代の若者たちといっしょにYouTube「柴村恵美子FUWAFUWAチャンネル」を配信しています。 

彼らと話していて「伝えたいな」と思ったことがあるんです。 


それは“我”というものについてです。


みなさんのなかにも“我”はいけないものだと考えている人がいるのではないでしょうか。

実は、私も昔はそう思っていました。だから一生懸命“我”を消そう、消そうって、がんばったこともあったんです。

その結果わかったことは、“我”というものと闘ってはいけない、ということでした。

“我”を敵だと思い、やっつけようとすると、自分が苦しむのです。 

それは、なぜだと思いますか? ひとりさんに聞いたら、こう言われました。


「神さまがつけてくれた個性を、みんなは“我”と呼んで、さもいけないもののように扱うけど、ひとりさん的には、それは神さまがくれた個性なの、自分なんだよ。

自分をやっつけようとするから、苦しくなるんだよ。

自分をいじめないで、もっと自分を大切にしたほうがいいよ。

そうすれば、自分も幸せだし、自分が幸せだと周りも安心するんだ」


そして、もう一つ、ひとりさんから言われたことがあるんです。


立派になろうとするな、って言われました。


「どういうことですかというと、立派なことを言っちゃいけない、ということだよ。

恵美子の場合だと『私は有名になりたくない』とか言っちゃいけないの。

なぜかというと、それは本心ではないから。

今世、恵美子の魂が持ってきているのは『有名になりたい』なんだ。

それは神さまから見たら恥ずかしいことでも何でもないの。

それを恥ずかしく思うのは、世間の常識を基準にするからなんだよ。

世間の常識で言うと『有名になりたい』というのは“我”なんだよな。

ところが、神さまが考えていることはすごいんだ、視野が全然違うんだよ。 

有名になりたい、その思いを叶える過程で“我”は消えていく、っていうんだよ。

なぜかというと、自分のためだけを思って『有名になろう』とすると、貯金が減っていったり、人が離れたり、困ったことが起きてくるから。

そういう“しかけ”を、神さまが『生き通し』のなかに仕込んでいるの。

だから“我”でやることにはいつか必ず限界がくるの。

そのときに人は『愛』の出し方を覚え、魂が成長するの。

だから、そのままで大丈夫だ。

恵美子は恵美子らしく、ひとりさんはひとりさんらしく、お互いが自分らしく生きること、それが「使命」なの」 (byひとりさん)


そう言われたのに、うっかり立派なことを言ってしまうんです、私。


たとえば、「努力が足りない、もっと努力しなきゃ」って自分自身に言ってしまったりするんです。

しかも、そういうときほど、なぜかうまくいかない。

もう笑っちゃうほど、うまくいかない。

私はくたびれてベッドに倒れ込んでし まうんですが、このとき私は「あっ!」って思い出すんです。

そう言えば、昔、読んだ本のなかに、リーダーが努力、努力と言いすぎると、ついてこれなくなる人間が出てくる――と書いてあったな、とかって。


そして、私は「愛」を覚える。


自分が自分についていけなくなるほど、努力、努力って言い過ぎるのは、もう、よそう。人に対してもそうだ、って。


私は「斎藤一人さんの一番弟子」と言われるのですが、もしかしたら、弟子のなかで、そういう経験がいちばん多いから、「一番弟子」なのかもしれません。

でもね、そういう体験を交えながら「失敗は失敗ではなく、学びなんだ」ということを伝えると、みなさん、「自分も自分らしく生きよう」って、顔がイキイキ輝いてくるんです。

それを見ていると、私、すごく幸せな気持ちになるんです。