2024/09/10 07:51

砂漠にいて、持っている水筒に水がちょっとしか入っていなかったら、人から「水を分けてもらえませんか?」と頼まれても困るよね。
自分のぶんすら足りていないのに、人にあげる余裕なんてない。
だけど、目の前にたっぷり水をたたえた井戸があれば、「どうぞどうぞ」って水をあげられるんじゃないかな。
自分の水筒がいっぱいになり、さらにあふれるほどの水があるわけだから、こぼして捨てるぐらいなら差し上げますよって、喜んでおすそ分けできると思います。
真のやさしさとは、こういうイメージです。無償の愛なの。
自分をいっぱい可愛がると、心が愛で満たされます。
さらに愛が大きくなると、抱えきれずあふれ出すわけだけど、それを欲しい人がいれば気前よく差し出せるよね。
あふれ出してしまった愛を誰かにあげても、自分の心が乾くことはない。
むしろ、愛が無駄にならずに済んでよかったという、喜びすら感じるんじゃないだろうか。
だから見返りなんて求めない。
相手の笑顔が見られただけでうれしいし、そのおかげでますます自分の愛が大きくなります。
見返りを求める人って、自分が満たされていないんだよ。
心に愛が足りてないから、
「こっちは疲弊しながら気遣ってあげたのに、なにも返してくれないの?」と思うし、期待したような見返りがないと不機嫌になる。
ハッキリ言って、こんな人から愛をもらったって迷惑なんです。
恩着せがましく愛の押し売りをしてきたうえに、お返しまで求められちゃたまんないよな。
いちばん大事な自分につらく当たり、心が追い詰められた状態で出す親切は、往々にして相手の迷惑になるんだ。
誰かによくしたいと思うのなら、まず自分から幸せにするしかありません。
自分にゆとりがなきゃ、誰かにやさしくすることはできないの。
でね、自分を可愛がって上気元になると、周りの人も勝手によくなるという事実があるんです。
意識的になにかしてあげようと思わなくても、あなたがただそこにいるだけで、周りじゅうが幸せになるっていう現象が起きてくる。
あなたが神的波動になれば、その波動が周りにも影響するからね。
だから、たとえば「子どもが引きこもりで困っています」 「会社に愚痴ばかり言う人がいて憂鬱です」みたいな悩みを持っている人なんかも、相手をどうにかしようと思わなくていいんです。
なにより効果的なのは、あなた自身の波動を上げることだよ。
あなた自身が自分を愛し、大切にして上気元になればいい。
それで解決できないものはないんだ。
斎藤一人 著
『幸せ波動、貧乏波動』より