2024/08/06 08:00



たとえば、逆上がりにはじめて挑戦する人がいるとします。


逆上がりの練習をして100回目に「できた!」ということになったとします。


1回目から99回までは「練習をしていた」んですよね。


1回目で逆上がりができちゃう、そういう人もマレにいるのかも知れないけど、たいがいの人は、何回か練習してできるようになるんですよね。 


練習しながら「こうしたらうまくいかなかったから、今度はこうしてみよう」 とか、


「こうしたらもっといけるかもしれない」とか、ちょっとずつ学んでいって、最終的に「できた!」ということになる。 


だから、失敗ではないんですよ。


練習して学んでいる、ただそれだけなんです。


人生も逆上がりといっしょ、失敗はありません。


私たちは、何かを学ぶために生まれてきているんです。


人間は、出会う人、起きる出来事から何かを学んで生きています。


それも、失敗しているように見えるときこそ、何かを学んでいるんです。


だから、たとえば、「自分は、昔、若気の至りで、深夜ブンブン爆音をならしながら、バイクに乗っていました」

という人がいるんだけど、その人は、ブンブン鳴らしながらバイクに乗ることで、何か学ぶことがあったんです。


知らない人は「あんなバカなことをして」とか思うのですが、その、バカなことから何か学ぶさだめを持って生まれてきた人もいるんです。


確かに、ブンブン走ったことで、人さまに迷惑かけたこともあったでしょう。 


ただ、「魂の成長」という観点から見ると、それは決して失敗ではなく、当人が成長するために必要な過程なんです。


そんな、バカなこともやりながら、人は学び、そして生きる。


だから、人間は生涯「学生」なんです。


と、私は思っていて、ずっと学生を続けているんです。


斎藤一人 柴村恵美子 著
『人は死んでも生き続ける』より