2024/05/28 08:50



私は常に自分の機嫌をよくするようにしています。    

でもそれって大変じゃないですかって言われるんだけど、大変なことでも、難しいことでもないんです。    

大切なのは、自分に起こった出来事をどうとらえるかということと、

どんなことが起こっても、“自分の機嫌をとる”という“習慣”を身につけることなんです。    

たとえば、すごく“わからず屋”の人が現れたら、天が自分の説得力を上げるために遣わしてくれたんだと思うと、それがすごくありがたいし、うれしくなります。    

つまり、どんなことが起こっても、自分に起きた現象は自分にとっていちばんいいことだと思うようにする。    

そしてそれを、自分の器を大きくするための訓練だと思えばいいのです。    

自分に起こった出来事に対して、何かにつけて頭にくるよりも、自分の機嫌がよくなるようにする。    

そのために何が必要かというと、“理性”なんです。    

腹が立つのはそこに感情があるからですよね。    

その感情的になったときに、自分を上気元のほうに持っていくのに必要なのは理性です。

だから、器量を上げるためには理性が必要なのです。    

人は機嫌がよかったり、悪かったりします。たまに器量が大きいことを言うこともあります。

でも、それがいつもできるっていうのは、理性がないとダメなんです。    

その意識をずっと持っていると、それが習慣になって自然に身につきます。    

歯を磨くときのように、最初は上の歯、前歯、奥歯、下の歯、前歯、奥歯というように、意識して磨いていても、慣れてくるとそんなことを意識しなくても磨くようになるんだよね。    

それと同じで、ある一定のところまで我慢してやっていると、習慣になってしまうんです。そうなるとなんの苦労もなくなってしまいます。    

私の場合も、何か起きると自分で自分の機嫌をとるように習慣づけてるから、脳の回路がそういうふうになってしまっているんです。    

それで、私にとってはそのほうが自然で、楽なんです。    


斎藤一人 柴村恵美子 著    

『器』より