2024/05/13 08:28



神様は、正しいことに実証を出すんです。

正しいことをしていると、実際に幸せになる。

自分が幸せと思えばいいとかじゃなくて、本当に幸せを感じるようなことが起きるんだよね。

だから、実証が伴わないものを信じちゃいけないよ。

あなたが誰かに話を聞いて、それをいい話だと思うなら実践してみたらいい。 

だけど実践した結果、実証が伴わないものはダメです。

2軒お店を経営していて、3軒目を出したとき、それが潰れるようなら実証が伴っていないってことだよ。

だって、もし店を増やすのが神的に正しい道だったら、そのまま4軒目、5軒目だってスムーズに出せるはずだから。

常に、「これは実証が伴っているだろうか」という見方をする癖をつけておかなきゃいけない。

実証の伴わないものは、全部間違いなんです。

例えば、ひとりさんが彼女とつき合うのをやめて幸せになったら、それは実証が伴っているんだよ。

彼女と別れたのは正解なんだよね。

だけど別れて寂しくなっちゃったら、実証が伴ってないということだから、別れるのは間違いなの(笑)

私は女性より囲碁が好きなんだっていう人は、それが絶対に正しいんです。 

囲碁をしていると幸せなんだから、囲碁がその人に向いている実証なんだよね。

釣りが好きな人もいる。だけど俺は、魚のメスには興味がないの。 ウロコの生えた女性は嫌なんだよ (笑)

要は、楽しくなったりワクワクしたりすれば正解だし、苦しくなったり悲しくなったりするようなら、それは不正解。 

わかるかい?

商売をして収入が増えたら、女の人だったら服が1着でも余分に買えるよね。

実証が伴うとは、そういういいことが本当に起きるってことなの。

お金がなくても幸せだと思おうよ、とかっていう話じゃない。

もちろん気持ちが豊かになることも大事だけど、お金はないよりあったほうが幸せなんだから、お金も入ってくるのが実証なんです。

気持ちが豊かになりながら貯金が減るとか、貯金が増えながら気持ちが貧しくなるっていうのは、どこかで何かが間違っているからだよ。

でね、神は何を望んでいるんですかって、俺たちひとりひとりが幸せに生きることなの。

自分が幸せになってはじめて、人も幸せになることを考える。

人のために自分を犠牲にして、とかじゃない。

神は犠牲を求めないんだ。

なぜですかって、俺たちひとりひとりが、神から「分け御霊」をいただいて生まれた「神の子」だから。

神の子が幸せになるのは当たり前で、苦労する必要なんてないよね。

そうやってひとりさんはいつも神的なことを言うんだけど、世間では、道徳のことをまるで神様のように言う。

それも、誰のためかよくわからない道徳(笑)

だって、百姓が一番よく働いて偉いとか言いながら、大奥では女性が着飾っていたんだよ。

百姓の仕事が立派なら、自分たちも手伝いに行けばいいのにって(笑) 

いいかい、実証の伴わないものを信じちゃダメだよ。

どんなに立派なことを言っていても、実証がないものは信じちゃいけないんです。


尾形幸弘 著

『斎藤一人 師匠は神様』より