2024/05/10 08:48



幸せってね、ある日突然、空から降ってくることはないんだね。

自分の意思で見つけるものなんだ。

「幸せになる意思」を持っていない人は、たとえ高額な宝くじが当たっても、「誰かにだまされるんじゃないか」って不幸なの。

目の前をものすごく好みの人が横切っても、「自分は相手にされないに違いない」って不幸なの。

幸せになる意思を持って、毎日、目の前の幸せを見つけながら歩くと、いつの間にか幸せな道ができあがっているんだよ。

「きょうも生きていて幸せ」

「おひさまがあったかくて幸せ」

「ごはんが食べられて幸せ」

あなたの周りには、こんなふうに、たくさんの幸せがあるよね。

「そうは思えないわ」って感じたら、1分間、息を止めてみな。 1分後には必ず思うはずだよ。「ああ、息ができて幸せって(笑)

いくら前のほうを探しても、「幸せの道」ってものはないの。遠くになんかないの。 

「幸せの道」は、いつも振り返ったときに、後ろにできあがっていることを忘れないでおこう。

「喜怒哀楽」っていうけれど、人によって感じ方や表現の仕方は違うから、10億人いたら、10億通りの「喜怒哀楽」があると思うといい。

まずは、自分の「喜怒哀楽」を知ることが、とっても大切なの。

たとえば、海に行くつもりだった日曜日の朝、起きたら雨が降っていたとするね。

そこで、ある人は悲しくなっちゃうんだよ。

「ずっと楽しみにしていたのに、なんてツイてないんだろう。こんなに降っていたら、 海で泳げないどころか浜辺に降りることもできないじゃないの」って。

また、ある人は怒り出すんだよ。

「ひどい、これで予定が台無しだ。雨の日は気持ちがどんよりする。ああ、頭まで痛くなってきた。雨なんか大嫌いだ!」

そうかと思えば、がっかりしたあと、すぐ気楽になっちゃう人もいる。

「海は次の休日の楽しみにして、きょうはゆっくり家で本でも読もう。しとしと降る雨音を聞きながらの読書は、とってもぜいたくな気持ちになるなあ。
そうだ、おいしいお茶を入れて、クッキーでもつまもうかな」なんてね。

これが、「自分を幸せにする意思」なんです。

あなただったら、楽しみにしていた休暇が中止になったときに、どうする?

どんな気持ちで、その日を過ごしたいと思うかな?

人生には、不意打ちの雨のような問題がたくさん起こるんです。

そのとき、自分はどんな感情を選ぶのか。

人は、それを一生かけて練習していくんだよ。

不幸な感情を、「幸せになる意思」で動かす学びは、神様が与えてくれた「魂を磨く魔法」だね。

大人になると背丈の伸びは止まるけど、心は体に収まりきれないくらい大きく成長を続けていく。

心がコロコロ変わる中には、「悲しみの成長」もあるし、「怒りの成長」や「苦しみの成長」だってあるんです。

だから、こういうことがあると自分は悲しいんだ、こうすると怒るんだな。ああ、 こんなことが起きると苦しいと感じるんだって、コロコロ変わる心を通して、自分の喜怒哀楽をよく知っていくの。

そして、同時に、「わたしがいま感じたように、きっとほかの人も悲しい思いをするだろう」って、他人への思いやりも学んでいく。

「だから、自分はこういう振る舞いをするのはやめよう」って思うことが意思なの。 

不幸な感情を知ると、自分にも他人にもやさしくできるんです。

だからね、「すべての感情は、愛につながっている」と思ってください。


斎藤一人 高津りえ 著

『斎藤一人 すべての感情は神様の贈り物』より