2024/02/29 08:12



すべての問題は神様からの課題なんだと思えばいいの。 

それを部長がどうだとか、言っちゃいけません。 

「部長がひどいからうまくいかない」じゃなくて
「部長一人とうまくつきあうことができなくて、世の中の人とうまくつきあっていけますか」ってことなの。 

この部長は何を言えば喜ぶかとかを考えるの。 

よく、お世辞とか言いたくないっていう人がいるけど、魚を釣るのに、自分がイチゴパフェが好きだからって、イチゴパフェを餌にして魚釣りをする人はいないよね(笑) 

自分が嫌いだろうが、ミミズとかゴカイとか、釣りたい魚の好きなものを餌にしないと魚は釣れないの。 

だから、ゲームと思ったほうがいいよね。 

たとえば、目の前に嫌いな上司がいるとします。 

まずはね、この人に認められるような仕事をするの。 

たった一人の人からも認められないのではダメだからね。 

それでいつも怒られてるんだとしたら、
「いつも僕のためにしかっていただいてありがとうございます」とか「部長ほど真剣に私のことをしかってくれる人はいません」って言うんだよ。 

相手がなんか言ってきたら、こっちはそれ以上のことを言わないとダメなの。 

そういうゲームなんだよ。 

「怒られてイヤになっちゃう」じゃなくて、相手がパー出したら、こっちはチョキ出すの。 

人生はいつも“後出しじゃんけん”なの。 

出た結果に対処すればいいんだよ。 

怒ってる部長はいつも怒ってるの。 

だから、怒る部長が悪いんじゃなくて、相手の出方によって、こっちの出方を変えればいいんだよ。 

相手が変わるのを待つとかって言うけど、相手は絶対変わらないからね。 

もし変わるんだとしたら、それはあなたの学びが終わったときなの。 

だから、相手が喜んで、こっちも妥協できる案とかを出す。 

そのために私たちには神がくれた知恵があるんだよ。 


斎藤一人 著 

『変な人の書いた世の中のしくみ』より