2024/02/25 09:04



自分たちがふだん生きてる場所って、仕事をしたり、いろんな人と知り合っていろいろ学べたり、畑だったらいろんな作物がとれたりする、いい場所だよね。 

でも、上司のカミナリとか、奥さんのカミナリとかが、落ちてくることもある。 

それから、ふだんいる場所というのは、イヤシロ地に対して、ケガレ地といってね。

生きていると、人のしがらみや悪い感情で心やからだがけがれる。 

心のエネルギーが失われてきちゃうときもある。 

あとさ、生きてると
「いっちょ、やってやるか!」って奮起して、気合いをいれてやらなきゃいけないときもある。 

そんなとき、心のエネルギーが減ってきたり、「もうちょっと、いいエネルギーが欲しいな」ってときは、神社に出かけて行くといいんです。 

神社っていうのは、魂のお医者さんというのか。エネルギーをもらえるという捉え方でいくと、「気」のお医者さんみたいな場所なんです。 

元気の「気」をもらえる場所。 

ただ、そういう場所って、ふだん自分たちが生きてるケガレ地のすぐ近くでは、そうそう見かけない。 

めったやたらと行けません、っていう人が多いと思うんです。 

そういう人は、どうするか。 

ほら、御神木って、木でしょ。 

「一人さん、なにをいいたいんですか?」って、はるか昔の日本には、言葉はあったけど、文字がなかったんです。 

それで、木は「き」っていうじゃない? 

実は、木も、元気の「気」も同じ意味なんです。 

だから、気が衰えてきたとき、木のあるところへ行けばいい。 

大木のとこへ行けばいいんです。 

森のなかを散策したりする森林浴っていうのが、今、流行ってて、ヨーロッパのほうでも結構さかんに行われてるんだけど。 

木も、気も同じ「き」なんです。 

昔の日本人は、デカい木のあるところに行って、「き」をもらって、そういうところを大切にしたんです。 

だから、神社に行けなかったら、そういうところを探して行けばいいよ、ってことです。 

ただ、デカい木も、都市開発やなんかで、最近、減ってきちゃってるからね。 

だから、ひょっとしたら、人間がイヤシロ地になるのが、一番いいのかもわかんない。 

周りの人に元気の「気」を与え、魂をいやす、イヤシロ人間になる。 

そういう人って、世間の人からしたら貴重だよ。 

みんなに喜ばれて自分もうれしくて、スゴくいいよ。 


斎藤一人 著 

『愛される人生』より